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  インドの知恵

丈夫で柔らかく吸湿性、保温力に優れた木綿に、異国情緒溢れる色鮮やかな模様を染めたインド更紗。
その源流は古く、紀元前2500年に遡ります。
古代インダス文明の時代、インドではすでに木綿栽培が行われ、織りや染めも始まっていました。
そして遅くとも紀元前後には、木綿を色鮮やかに染める更紗の基本技法が編み出されていたといいます。
実はこの染色技法こそ、インド更紗の神髄なのです。
というのも、木綿は藍や茶以外の植物染料の色が定着しにくく、赤や紫、黄、緑なのど鮮やかな色出しはとても難しい。
しかしインドでは、高度な科学的処理を施すことにより、堅牢かつ鮮やかな色彩の模様染めを可能にしていきました。



  インド更紗

古くよりインドで栽培、および染色が盛んだった木綿は、国内需要はもとより交易品としても重要な物産でした。
本来植物染料が定着しにくい木綿に、鮮やかで堅牢な染めを可能にしたインド更紗は、大航海時代に世界中に広がり、
ヨーロッパをはじめとしてペルシャ、タイ、インドネシア、中国、日本などで熱狂的に迎えられました。
異国情緒溢れる模様は、インドというよりもイスラム的で、交易品である更紗は各国のお国柄に合わせて対応していきます。
更には注文にも応じ、多種多様な染め模様が生み出されていったのでした。


  ペルシャ更紗

ペイズリー、立木文、生命樹などを巧みに配した一枚絵が特徴で、ペルシャ渡りのインド製と、ペルシャ製の2タイプがありますが、その見分けは簡単ではありません。
理由として、インドとペルシャの政治経済的な関係の深さによります。
12世紀にペルシャがインド北部を征服して以来、インドにイスラム文化が入り込むことになります。
16世紀前半、インド史上において最大で最後のイスラム系帝国であるムガル王朝時代になると、東インドのコロマンデル海岸一帯に、ペルシャ人が多く渡来して、更紗職人となりペルシャ向けにも制作していきます。
やがてペルシャ王国に更紗づくりが広まっていくことになります。
主な用途は祈祷用敷物。
19世紀以降は、ペルシャ産の木版更紗が主流になります。
ただし、ガージャール朝(1796〜1925年)時代には、物語を描いた模様の更紗も作られました。


  ジャワ更紗

インドとインドネシア(ジャワ)は大航海時代を迎える以前から、交易が盛んに行われていました。
インドが求めていたものはモロッカ諸島などの香料で、インドネシアはインド製の木綿生地や更紗、絹織物を珍重しました。
インドネシアでは古くより素朴な*ろうけつ染めが行われていて、インド更紗から刺激を受けて格段に染色技術が向上しました。
もともとは王侯貴族の子女による高級な手工芸でしたが、16世紀の終わり頃から一般庶民にも広まっていきました。
17世紀以降はオランダや中国からの影響が大きくなり、ジャワ北岸系の更紗模様に反映されていきました。
本来の生地はジャワやインドの手紡ぎ、手織りの木綿でしたが、19世紀に入るとイギリスの薄手紡績綿「キャンブリック」が主流となります。

*ろうけつ染め(ろうけつぞめ、蝋結染、蝋纈染、臈纈染などとも記される)は、模様部分を蝋で防染し染色する伝統的な染色法。


  ヨーロッパ更紗

大航海時代にヨーロッパで巻き起こったインド更紗ブームは、それまで主流だった毛織物の業者を圧迫するほどで、その保護のために、購入や使用の禁止令が出たほどででした。
しかしあまり効果はなく、染料や技法まで徹底的に模倣して、インド更紗を熱望する市場に対応する動きも現れます。
18世紀半ばに銅板捺染が発明されると生産力が高まり、模様もインド的なモチーフから脱して西欧風に進化していきました。
更にローラー銅板*捺染(プリント)が登場し、19世紀には化学染料や紡績機、織り機が発明されたことで、堅牢かつ量産できる布へと変化していきます。
フランス、イギリス、イタリア、オランダ、スイス、ドイツ、ロシア・・・とそれぞれが独自性を育み、リバティやソレイアードをはじめとする現代ヨーロッパのプリントへと発展することとなります。

* 捺染(プリント)とは、模様を抜いた型紙やシルクスクリーン、彫刻をいれたローラーを使って、染料を混ぜた糊料を布地にプリントして模様を出すことを表した言葉



  和更紗

桃山時代から江戸時代にかけて日本にも多くの更紗が伝わりました。
”南蛮渡り”の目にも鮮やかな布に、大名家や茶道の数寄者、富裕町人たちは夢中になり競って買い求めました。
木綿栽培が広まる江戸時代以前の日本では、絹以外の布といえば麻だったため、木綿の保湿性や保温力のある軽い素材感も魅力でした。
とは言え、高嶺の花。
そこで誕生したのが「和更紗」でした。
1,600年ころ(江戸時代初期)には、輸入木綿による手書き更紗の制作が始まっていたようですが、残念ながら色落ちする未熟なものばかりでした。
やがて日本各地でも木綿栽培が盛んになり、また小紋や中形の単色染めに用いる伊勢型紙に着目する職人が現れ、型紙による多色染めが実現。
主に顔料捺染のため堅牢度は低かったものの、洗濯物の頻度が低い袋物や間着、夜着などに多く用いられました。



参考資料:『更紗 美しいテキスタイル デザインとその染色技法』田中敦子編著